去年の11月。
ついに4年目にしてホウレンソウが育ち始めました。
ウキウキ。
ワクワク。
なんていったらいいんでしょう。
とにかく、こんなうれしいことはない。
そっくり芽生えたホウレンソウが、間引きできるくらいに生長しています。
ちょっと、種が多すぎたくらいだ。
5、6センチに伸びた大きめの葉を摘んで集めた。
間引きは本来、小さい方を摘み取るのだが、今回はまず、自前のホウレンソウをたっぷりと味わいたい。
去年の11月。
ついに4年目にしてホウレンソウが育ち始めました。
ウキウキ。
ワクワク。
なんていったらいいんでしょう。
とにかく、こんなうれしいことはない。
そっくり芽生えたホウレンソウが、間引きできるくらいに生長しています。
ちょっと、種が多すぎたくらいだ。
5、6センチに伸びた大きめの葉を摘んで集めた。
間引きは本来、小さい方を摘み取るのだが、今回はまず、自前のホウレンソウをたっぷりと味わいたい。
「食べたくないんだから、しょうがないじゃない」と、発言を続ける寮母さんは、どちらかというと、大胆というか、細かいことは気にしないタイプで、先の、ちょっと真面目な看護婦さんなんかと組めば、いいチームワークが組めるだろうな、と思う。
真面目で細かいばかりでもよくないし、大胆ばかりでも困る。
何事でもそうだが、特に介護の仕事は、両方が補い合ってうまくいく。
「そういえばそうね。私たちだって、食べたくないことあるもの」
「そうそう」
「カロリー的には大丈夫かしらね。そういや、特にやせてるわけでもないし、何もしないんだもんね」と、真面目な看護婦さんにも余裕が出てきた。
「食べないと職員が来て、"どうしたの、食べないの"とか言うのよね」
「そうそう、それも入れ替り立ち替り、やって来る人がみんな言うのよ」
「ありゃ、老人はかなわんな」
「うん」と、一同苦笑気味の笑いとなる。
看護婦さんの勤めている特養の職員も、よく工夫していて、本人がよほど嫌がらない限りは、グループ活動に出てもらったり、好物を買ってきたりしているらしいのだが、それでも食べないときは、頑として食べないという。
「困ったねえ。とにかく、いろいろやってみるより他にないよね」
なんていう、いつもの如くの結論になりかけたころ、ある寮母さんがこう言うのです。
「食べなきゃ食べなくてもいいんじゃないんですか」と。
一瞬、私たちは顔を見合わせ、そして思わず笑った。
そういえばそうではないか。
私たちは、みんな真面目な職員だから(?)、どうやって食べてもらおうかという方法論ばかりに熱中していて、"ご飯は三度三度ちゃんと食べるもの"という前提は疑わずにいたのです。
その結果、方法論はどんどん姑息ともいうような話になって、例えば、スプーンでどうやって口を開かせるかなんていう、狭い領域にどんどん入りこんでいってしまうのです。
そこに、この寮母さんの発言があったものだから、みんな、ハッとするとともに、救われたような気になったのだ。
老人ホームの職員さんたちのグループで、互いに困っていることを出し合って、話をしていたときのことです。
真面目な看護婦さんから、こんな相談があった。
「79歳の呆けのあるお婆さんなんですがね。
自分から動くことはほとんどなくて、特に麻痺があるわけでもないのに、歩けなくなってしまった人なんです。
食事だけはしてたんですがね、最近、そう、2日か3日に1回くらい、どうしてもご飯を食べてくれないんですよ。
食事介助しても、口をつぐんでしまってね、どうしても駄目なの。
なにかいい手はないですかねえ」
さあ、これに対していろんな意見が出てきた。
さすがは、現場の人たちの集まりです。
「運動が足りないんじゃないの。昼間、体を動かすプログラムに誘ったら?」
「好きな物は何かね。特別扱いはしない、なんて言わないで、買ってきて食べさせたら?ご飯が食べられないという特別の状態に、特別のケアをするのは当たり前よね」
などなど......。
マントルは消耗品だから、いつも予備を2~3枚は用意しておかなくてはいけない。
マントルがないと、ランタンは何の役にも立たないのです。
マントルをランタンにセットするときは、まず、形を丸くきれいに整える。
これをいいかげんにやると、あとで明るさに影響する。
点火装置がついているものは、それに引っかからないように注意することです。
マントルは燃やすとぐっと小さくなるから、引っかかっていると、燃やしている最中に破れてしまう。
燃やすときは、燃料を少し噴出させながらやると、早く形よく焼けてくれます。
燃料を出さないで燃やせ、と書いてある説明書もあるが、やっぱり燃料を出しながら焼いたほうが、きれいに焼けるように思う。
ただ、燃えつきたらいったんとめて、冷やしたほうが、マントルが丈夫になるという意見もあります。
合宿免許取得中に知人に聞いた話です。
車で自己主張するトラック野郎たち。
昔の話だが、菅原文太の主演する映画『トラック野郎』シリーズが流行ったことがありました。
それと前後して、実際にも大金をかけてさまざまに飾りたてたデコレーション・トラック(通称デコトラ)が話題になりました。
映画のほうが、『男はつらいよ』シリーズほどには続かなかったせいもあって、一時下火になったようだが、最近またそろ、このデコトラが増えてきているようです。
彼らは、地域別やトラックの種類別などにグループをつくっていることが多い。
それらの名前もまた、トラックに負けず劣らず派手だ。
たとえば、「歌麿会」「飛舞グループ(それぞれが一国一城の主であるダンプトラックの集まりだからという)」「陸親会(甲州地方のトラック野郎の集まり)」「羽衣会」などです。
また、自分のトラックにも名前をつけていて、一番多いのは「○○丸」という感じのものだった。
それはたぶん、それぞれのトラックは船であり、グループは船団だという意識からなのでしょう。
こういうと、彼らは仁侠じみた怖い特殊な男たちだという感想を持たれるかもしれないが、決してそんなことはない。
ガスランタンやガソリンランタン、それから加圧式灯油ランタンの光源は、布でできたマントルです。
これを、いつたん燃やして灰にしてから使うが、灰になったマシトルは非常に壊れやすいので、取り扱いには慎重を要する。
点火のとき、マッチでつついて穴をあけてしまうことはよくあるし、ランタンに強い衝撃を与えたりすると、すぐくずれ落ちてしまう。
運搬時の振動で壊れてしまうことも多いです。
移動時はできるだけ縦にしておいたほうが、壊れにくいようです。
そういったことがなくても、使っているうちに消耗して、いずれは穴があく。
穴があいたマントルは、効率が悪くなるだけでなく、炎がグローブにあたり、グローブを割ってしまうこともあるので、早めに取り替えることです。
キャンプでは、夜、テントを立てたり、料理をしたりすることは、そんなに珍しいことではありません。
たいてい陵中電灯を首から下げたり、口にくわえたりして作業することになるわけだが、こんなとき、両手が自由に使えるヘッドライトだと苦労がないのです。
夜中に便所などに行くときにも、このライトのありがたさが分かります。
陵中電灯、ヘッドライトとも、いつもできるだけ新しい電池を入れておき、予備電池は必ず持つことです。
単3電池を使ったものなど、1時間程度しか連続使用できないものも多いです。
予備電球も必要です(*・ω・)ノ
そして、真っ暗闇の中でも、電池や電球の交換ができるよう練習しておきたい。
キャンプ中の夜、行動するときは常にランタンを携帯することです。
昼間、遠出をするときも同じだ。
都合で、もどる前に日が暮れてしまうことだってある。
懐中電灯は種類が多く、値段もピンからキリまであるが、安いものでも十分、役に立つ。
これから買うならヘッドライトがおすすめ。
歩いているときは、手に持つ懐中電灯でも、そう不自由は感じないが、キャンピングでは、両手を同時に必要とする作業が多いから、片手にライトを持つと、行動がかなり制限される。
現代のもので、佐々木宏幹氏の長崎県福江島でのフィールド・ワークによるもの(「『カゼ』と『インネン』―長崎県・福江島の宗教文化」『聖と呪力の人類学』)。
文中の「ホウニン」とは、特定の宗教団体に属さず、個人的に占いや治病などの呪術行為を行なう霊能者のことです。
「旅館業を営む主婦は、病気がちで事業もうまくいかなかった。
ホウニンに相談すると、旅館内に古井戸があり、洗濯水や汚物で汚れ、水神が怒って泉ったのだと言われました。
古井戸の側に水神の祠があったので、そこに酒一升、魚、まんじゅう五十個を供え、ホウニンに拝んでもらった。
ホウニンは祠から水神の霊を抜いたから、空の祠を海に流せと言ったが、ホウニンの家に納めた」
『源氏物語』のほうは病人(愚かれた者)と宗教者のほかに愚坐という特殊な役割の者が登場する点が特徴的であるが、宗教者がその呪力によって、問題を起こしている霊的存在を追い払うという基本的構造は、現代のものと同じであることがわかってもらえるでしょう。
そして、占いにも興味があるのですが、占いはこちらが良かった!って言う占いに相談したいですねー。