「オバケのQ太郎」
なんといっても苦労したのは台本作りであり、どうしたらかわいいオバケになるか、こどもたちが笑うようなギャグを盛り込めるかに頭を痛めた。
そのため、原作漫画のいいところをどんどん消化してしまい、41年2月に2代目プロデューサーとなった忠隈昌氏は、オリジナルな物語を作らなくては間に合わないほどになったそうです。
そこで、オバQの妹P子を同年7月3日からレギュラー出演させました。
「オバケのQ太郎」
なんといっても苦労したのは台本作りであり、どうしたらかわいいオバケになるか、こどもたちが笑うようなギャグを盛り込めるかに頭を痛めた。
そのため、原作漫画のいいところをどんどん消化してしまい、41年2月に2代目プロデューサーとなった忠隈昌氏は、オリジナルな物語を作らなくては間に合わないほどになったそうです。
そこで、オバQの妹P子を同年7月3日からレギュラー出演させました。
「オバケのQ太郎」
「軟体動物みたいなオバケなんか出したところで、当たるかどうか見当がつかなかったが、なんと視聴率は18%と出た。
"これはいけるぞ"と思った通り、第1回は27%、あっという間に30%を超し、36.7%までいってしまった」と思い出を語る。
つぶれる寸前にあった東京ムービーが製作を引き受けて盛り返したが、ふわふわした動きを出すためには、30分番組で3千8百枚ぐらいの原画で済むのに5千枚も描かねばならず、初期には東京だけでは製作が間に合わず、3本に1本は大阪で作りました。